沖縄の国政参加に伴う衆院選挙(1970)
沖縄の本土復帰(1972年)に先立ち、沖縄の住民が国会の審議に参加するために1970年11月15日に行われた衆議院議員選挙。定数5に7人が立候補し、自由民主党2人、沖縄人民党・日本社会党・沖縄社会大衆党が各1人当選した。投票率は83.64%。
結果の要約
| 投票日 | 1970年11月15日 |
|---|---|
| 選挙区 | 沖縄全県区(衆院) |
| 定数 | 5人 |
| 立候補者 | 7人 |
| 当日有権者数 | 547,703人 |
| 投票率 | 83.64% |
当選者
- 西銘順治(自由民主党) 92,596票
- 瀬長亀次郎(沖縄人民党) 76,978票
- 上原康助(日本社会党) 73,331票
- 国場幸昌(自由民主党) 65,104票
- 安里積千代(沖縄社会大衆党) 53,998票
西銘順治(自由民主党)、瀬長亀次郎(沖縄人民党)、上原康助(日本社会党)、国場幸昌(自由民主党)、安里積千代(沖縄社会大衆党)の5人が当選した。沖縄から国会議員を選ぶ初めての選挙だったため、7人の候補者はすべて新人だった。当選した5人は1970年11月24日の衆議院本会議で、沖縄選出議員として議長から紹介された。
開票結果
| 当 | 西銘順治 | 49歳 | 自由民主党 | 新人 | 92,596 | 票 | (20.97%) |
| 当 | 瀬長亀次郎 | 63歳 | 沖縄人民党 | 新人 | 76,978 | 票 | (17.43%) |
| 当 | 上原康助 | 38歳 | 日本社会党 | 新人 | 73,331 | 票 | (16.61%) |
| 当 | 国場幸昌 | 58歳 | 自由民主党 | 新人 | 65,104 | 票 | (14.75%) |
| 当 | 安里積千代 | 67歳 | 沖縄社会大衆党 | 新人 | 53,998 | 票 | (12.23%) |
| 落選 | 友利栄吉 | 48歳 | 公明党 | 新人 | 44,870 | 票 | (10.16%) |
| 落選 | 山川泰邦 | 62歳 | 自由民主党 | 新人 | 34,641 | 票 | (7.85%) |
なぜ行われたか
根拠
沖縄住民の国政参加特別措置法(昭和45年法律第49号・1970年5月7日公布)による選挙。同法は、沖縄(沖縄県の区域とされていた地域)を選挙区として、公職選挙法に準じて琉球政府立法院が定める選挙法により、衆議院と参議院で国政の審議に参加する者を選挙すると定め(第2条)、選ばれた者を衆議院議員・参議院議員とし(第3条)、その数を衆議院5人・参議院2人とした(第4条)。あわせて衆議院の定数を当分の間491人とした(附則第2項)。
経緯
沖縄はサンフランシスコ平和条約第3条により米国の統治下に置かれ、日本の国政選挙が行われていなかった。沖縄が日本に返還される前に、沖縄の住民が選んだ代表を国会の審議に参加させるため、この特別措置法が制定された。選挙は琉球政府の選挙管理委員会が行い、1970年10月23日に公示、11月15日に投票が行われた。定数5に7人が立候補した。
その後
当選した議員の任期は、そのとき在職していた衆議院議員の任期と同じとされた(特別措置法附則第4項)。沖縄は1972年5月15日に日本に返還され、同年12月10日の第33回衆議院議員総選挙では沖縄県区(定数5)として通常の選挙が行われ、1970年に当選した5人がそろって再び当選した。
関連するページ
出典
- 琉球政府中央選挙管理委員会『衆議院議員 参議院議員 選挙結果調 1970年11月15日執行』(沖縄県公文書館デジタルアーカイブ)
- 沖縄県選挙管理委員会『令和7年版 選挙管理委員会年報』(衆議院議員沖縄県選出議員選挙の実績。公示日・有権者数・投票者数・投票率・候補者と得票・新旧・届出政党)
- 衆議院「沖縄住民の国政参加特別措置法」(法律第49号・1970年5月7日)
- 国会会議録 第64回国会 衆議院本会議(1970年11月24日)沖縄選出議員の紹介
- 国立公文書館「日本のあゆみ」昭和47年5月 沖縄が返還される
- 佐藤令「戦後の補欠選挙」『レファレンス』2005年12月号 pp.91-92(国立国会図書館)
得票・投票率・当選者は当サイトの国政選挙データ(衆院沖縄全県区復帰選挙(1970年11月)のページと同じ値)から表示しており、上の出典の資料と照合しています。