奄美群島復帰に伴う衆院選挙(1954)
1953年12月の日本復帰を受けて、1954年2月15日に奄美群島で初めて行われた衆議院議員選挙。定数1に8人が立候補したが、法定得票数に届いた候補者がいなかったため当選人が出ず、同年4月30日に再選挙が行われた。投票率は85.93%。
結果の要約
| 投票日 | 1954年2月15日 |
|---|---|
| 選挙区 | 奄美群島区(衆院) |
| 定数 | 1人 |
| 立候補者 | 8人 |
| 当日有権者数 | 107,081人 |
| 投票率 | 85.93% |
当選者
なし
8人が立候補したが、公職選挙法第95条の法定得票数(有効投票90,562票の4分の1=22,640.5票)に達した候補者がおらず、当選人は出なかった。最多得票は宗前清の18,741票だった。
開票結果
| 落選 | 宗前清 | 56歳 | 自由党 | 元職 | 18,741 | 票 | (20.69%) |
| 落選 | 泉芳朗 | 48歳 | 右派社会党 | 新人 | 15,763 | 票 | (17.41%) |
| 落選 | 保岡武久 | 51歳 | 自由党 | 新人 | 14,565 | 票 | (16.08%) |
| 落選 | 金井正夫 | 62歳 | 無所属 | 元職 | 12,341 | 票 | (13.63%) |
| 落選 | 伊東隆治 | 55歳 | 改進党 | 新人 | 11,593 | 票 | (12.8%) |
| 落選 | 西田当元 | 47歳 | 無所属 | 新人 | 8,675 | 票 | (9.58%) |
| 落選 | 山元亀次郎 | 59歳 | 無所属 | 元職 | 6,126 | 票 | (6.76%) |
| 落選 | 中村安太郎 | 44歳 | 諸派 | 新人 | 2,758 | 票 | (3.05%) |
なぜ行われたか
根拠
奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律(昭和28年法律第267号・1953年11月16日公布)第3条による選挙。同条は、衆議院議員の定数を臨時に467人とし、奄美群島で1つの選挙区(議員1人)をつくること、最初の選挙を法律の施行の日から2か月以内に政令で定める日に行うこと、選ばれた議員の任期は在職中の議員の任期に合わせることを定めた。
経緯
奄美群島は1946年1月に日本から切り離され、サンフランシスコ平和条約第3条により米国の統治下に置かれた。1953年12月24日に日米の復帰協定が調印され、翌25日に日本へ復帰した。復帰に合わせて衆議院の定数を臨時に1人増やし、奄美群島区が新たに設けられた。1954年1月の国会答弁では、この増員は特殊な事情のもとで次の定数表の改正までに限って1人を増やしたものと説明されている。
その後
1954年4月30日に再選挙が行われ、保岡武久(自由党)が24,956票で当選した。奄美群島区はその後も定数1の選挙区として続き、1964年の公職選挙法改正で同法の附則に定めが移された。1992年の公職選挙法改正で、名瀬市と大島郡は当分の間「鹿児島県第一区に属する」ことになり、奄美群島だけの選挙区はなくなった。
関連するページ
出典
- 衆議院事務局『第27回衆議院議員総選挙一覧』(1955年)附録その二「奄美群島復帰地域における衆議院議員選挙一覧」(国立国会図書館デジタルコレクション・コマ433〜436。有権者数・投票者数・得票・再選挙の結果)
- 佐藤令「戦後の補欠選挙」『レファレンス』2005年12月号 p.85(国立国会図書館)
- 衆議院「奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律」(法律第267号・1953年11月16日)
- 国立公文書館「日本のあゆみ」昭和28年12月 奄美大島が返還される
- 国会会議録 第17回国会 衆議院本会議(1953年11月3日)地方行政委員長の審査報告
- 国会会議録 第19回国会 衆議院公職選挙法改正に関する調査特別委員会(1954年1月30日)金丸三郎政府委員の答弁(奄美の定数1人の増員)
- 衆議院「公職選挙法の一部を改正する法律」(法律第132号・1964年7月2日)
- 衆議院「公職選挙法の一部を改正する法律」(法律第97号・1992年12月16日)
得票・投票率・当選者は当サイトの国政選挙データ(衆院鹿児島奄美群島区復帰選挙(1954年2月)のページと同じ値)から表示しており、上の出典の資料と照合しています。