奄美群島復帰に伴う衆院再選挙(1954)
1954年2月15日の奄美群島区の選挙で法定得票数に届いた候補者がいなかったため、同年4月30日に行われた衆議院議員の再選挙。定数1に5人が立候補し、保岡武久(自由党)が24,956票で当選した。投票率は82.69%。
結果の要約
| 投票日 | 1954年4月30日 |
|---|---|
| 選挙区 | 奄美群島区(衆院) |
| 定数 | 1人 |
| 立候補者 | 5人 |
| 当日有権者数 | 109,826人 |
| 投票率 | 82.69% |
当選者
- 保岡武久(自由党) 24,956票
5人が立候補し、保岡武久(自由党)が24,956票で当選した。有効投票は89,792票で、法定得票数(その4分の1=22,448票)に達したのは保岡武久だけだった。2位は伊東隆治(改進党)の20,706票、3位は2月の選挙で最多得票だった宗前清(自由党)の20,176票だった。
開票結果
| 当 | 保岡武久 | 51歳 | 自由党 | 新人 | 24,956 | 票 | (27.79%) |
| 落選 | 伊東隆治 | 55歳 | 改進党 | 新人 | 20,706 | 票 | (23.06%) |
| 落選 | 宗前清 | 56歳 | 自由党 | 元職 | 20,176 | 票 | (22.47%) |
| 落選 | 泉芳朗 | 49歳 | 右派社会党 | 新人 | 17,874 | 票 | (19.91%) |
| 落選 | 中村安太郎 | 44歳 | 諸派 | 新人 | 6,080 | 票 | (6.77%) |
なぜ行われたか
根拠
公職選挙法第109条第1号による再選挙。同号は、衆議院議員の選挙で当選人がないときは、選挙管理委員会が選挙の期日を定めて告示し、再選挙を行わせなければならないと定めている。当選人となるには、同法第95条第1項第1号により、有効投票の総数を議員の定数で割った数の4分の1以上の得票(法定得票数)が必要だった。
経緯
奄美群島の日本復帰(1953年12月25日)を受けて1954年2月15日に行われた奄美群島区(定数1)の最初の衆議院議員選挙では、8人が立候補したが、最多得票の宗前清も18,741票で法定得票数(有効投票90,562票の4分の1=22,640.5票)に届かず、当選人が出なかった。このため、同じ奄美群島区で再選挙が行われた。
その後
奄美群島区の議員の任期は、奄美群島の復帰に伴う法律により在職中の衆議院議員の任期に合わせられていた。保岡武久は1955年1月の衆議院の解散まで在職し、同年2月27日の第27回総選挙では伊東隆治(日本民主党)が当選して、保岡武久は落選した。保岡武久はその後、1958年の第28回総選挙で再び当選している。
関連するページ
出典
- 衆議院事務局『第27回衆議院議員総選挙一覧』(1955年)附録その二「奄美群島復帰地域における衆議院議員選挙一覧(昭和29年4月30日再選挙)」p.854-857(国立国会図書館デジタルコレクション・コマ435〜436。有権者数・投票者数・有効投票数・候補者別と市町村別の得票)
- 佐藤令「戦後の補欠選挙」『レファレンス』2005年12月号 p.85(国立国会図書館)
- 衆議院「公職選挙法」(法律第100号・1950年4月15日)第95条・第109条
- 衆議院「奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律」(法律第267号・1953年11月16日)
得票・投票率・当選者は当サイトの国政選挙データ(衆院鹿児島奄美群島区再選挙(1954年4月)のページと同じ値)から表示しており、上の出典の資料と照合しています。