群島知事選挙(1950)
米国統治下の琉球で1950年に、奄美・沖縄・宮古・八重山の4つの群島政府の知事を住民が選んだ選挙。沖縄群島は平良辰雄、宮古群島は西原雅一、八重山群島は安里積千代、奄美群島は中江実孝が当選した。
群島別の結果
沖縄群島
| 当選 平良辰雄 | 158,520 | 票 | (65.45%) |
| 落選 松岡政保 | 69,595 | 票 | (28.73%) |
| 落選 瀬長亀次郎 | 14,081 | 票 | (5.81%) |
宮古群島
| 当選 西原雅一 | 17,069 | 票 | (51.90%) |
| 落選 前里秀栄 | 15,818 | 票 | (48.10%) |
八重山群島
| 当選 安里積千代 | 10,097 | 票 | (50.98%) |
| 落選 吉野高善 | 9,707 | 票 | (49.02%) |
奄美群島
| 当選 中江実孝 | 60,936 | 票 | (59.04%) |
| 落選 笠井純一 | 42,268 | 票 | (40.96%) |
なぜ行われたか
根拠
米国軍政府の軍政府布令第19号「群島知事及議会議員選挙法」(1950年7月10日公布)による選挙。群島政府の組織は軍政府布令第22号「群島政府組織法」が定め、群島知事の任期は4年とされた(同布令第8条第1項)。
経緯
米国統治下の琉球では、奄美・沖縄・宮古・八重山の4つの群島ごとに群島政府を置くことになり、その長である群島知事を住民の選挙で選んだ。沖縄・宮古・八重山の3群島は1950年9月17日、奄美群島は10月22日に投票が行われた。4群島とも定数1で、沖縄群島は3人、ほかの3群島は2人が立候補した。沖縄群島は平良辰雄、宮古群島は西原雅一、八重山群島は安里積千代、奄美群島は中江実孝が当選し、1950年11月に4つの群島政府が設立された。
その後
1952年4月1日、米国民政府布告第13号により琉球政府が発足した。沖縄群島知事の平良辰雄は、1950年10月に結成された沖縄社会大衆党の委員長になった。八重山群島知事の安里積千代は、1970年の国政参加選挙で衆議院議員に当選している。
関連するページ
注記
- 候補者の年齢は、結果の資料に記載がないため載せていない。
- 有権者数は同書の表の見出し(「有権者数」)のとおりで、当日の有権者数か選挙人名簿の登録者数かは書かれていない。
- 奄美群島の投票日は、『選挙結果調』のはしがきと沖縄県公文書館の年表では1950年10月15日とされているが、同書の結果表の見出しと、当時の新聞(1950年10月21日付の奄美タイムス「あすは知事選挙日だ」)により10月22日とした。
出典
- 琉球中央選挙管理委員会『選挙結果調 群島知事 群島議会議員 1952年~1962年立法院議員』(1963年・沖縄県公文書館デジタルアーカイブ)
- 沖縄県公文書館『軍政府布令 1950年 第001号~第028号』 軍政府布令第19号「群島知事及議会議員選挙法」
- 沖縄県公文書館『軍政府布令 1950年 第001号~第028号』 軍政府布令第22号「群島政府組織法」(知事の任期=第8条第1項)
- 沖縄県公文書館「琉球政府の時代」歴史年表 1950年(群島知事選挙・群島議会議員選挙・群島政府の設立)
- 沖縄県公文書館「琉球政府の時代」歴史年表 1952年(琉球政府の設立)
- 沖縄戦後選挙史編集委員会編『沖縄戦後選挙史』第3巻(1985年)所収の当時の新聞記事(国立国会図書館デジタルコレクション・個人送信)