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米国統治下の沖縄の選挙

第二次世界大戦後、米国の統治下に置かれた沖縄・奄美で行われた選挙をまとめています。1950年の群島知事選挙・群島議会議員選挙、1952年から1968年までの8回の琉球政府立法院議員総選挙、1968年の第1回行政主席通常選挙の11件を収録しています。

米国統治下の沖縄の選挙一覧

選挙投票日地域概要
群島知事選挙(1950)1950年9月17日奄美・沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1950年に、奄美・沖縄・宮古・八重山の4つの群島政府の知事を住民が選んだ選挙。沖縄群島は平良辰雄、宮古群島は西原雅一、八重山群島は安里積千代、奄美群島は中江実孝が当選した。
群島議会議員選挙(1950)1950年9月24日奄美・沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1950年に、奄美・沖縄・宮古・八重山の4つの群島議会の議員を住民が選んだ選挙。沖縄群島20人、宮古群島9人、八重山群島7人、奄美群島13人の計49人が選ばれた。
第1回立法院議員総選挙(1952)1952年3月2日奄美・沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1952年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第1回の総選挙。8選挙区で31人を選び、60人が立候補した。
第2回立法院議員総選挙(1954)1954年3月14日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1954年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第2回の総選挙。29選挙区で29人を選び、63人が立候補した。
第3回立法院議員総選挙(1956)1956年3月11日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1956年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第3回の総選挙。29選挙区で29人を選び、59人が立候補した。
第4回立法院議員総選挙(1958)1958年3月16日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1958年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第4回の総選挙。29選挙区で29人を選び、69人が立候補した。
第5回立法院議員総選挙(1960)1960年11月13日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1960年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第5回の総選挙。29選挙区で29人を選び、80人が立候補した。
第6回立法院議員総選挙(1962)1962年11月11日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1962年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第6回の総選挙。29選挙区で29人を選び、61人が立候補した。
第7回立法院議員総選挙(1965)1965年11月14日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1965年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第7回の総選挙。32選挙区で32人を選び、64人が立候補した。
第8回立法院議員総選挙(1968)1968年11月10日沖縄・宮古・八重山米国統治下の琉球で1968年に行われた、琉球政府の立法院の議員を選ぶ第8回の総選挙。32選挙区で32人を選び、67人が立候補した。
第1回行政主席通常選挙(1968)1968年11月10日琉球(沖縄)米国統治下の琉球で、琉球政府の行政主席を住民が初めて直接選んだ選挙。1968年11月10日に立法院議員総選挙と同じ日に行われ、屋良朝苗が西銘順治を破って当選した。投票率は89.11%。

米国統治下の沖縄の選挙とは

米国統治下の沖縄の選挙

第二次世界大戦後、奄美群島と沖縄は米国の統治下に置かれ、日本の国政選挙や地方選挙の制度とは別に、米国の布令や命令、琉球政府の法律(立法)に基づいて選挙が行われていました。このページでは、群島政府の知事と議会の選挙、琉球政府の立法院議員の総選挙、行政主席の選挙を取り上げています。

群島政府(1950〜1952年)

1950年、奄美・沖縄・宮古・八重山の4つの群島ごとに群島政府が置かれることになり、群島知事と群島議会議員が住民の選挙で選ばれました。群島政府は1950年11月に設立され、1952年4月1日に琉球政府が発足しました。

琉球政府立法院(1952〜1972年)

立法院は琉球政府の立法機関で、議員は住民の選挙で選ばれました。第1回総選挙(1952年3月2日)は米国民政府布令第57号「琉球政府立法院議員選挙法」により、8選挙区・定数31の中選挙区制で行われました。1953年12月に奄美群島が日本に復帰した後は、沖縄・宮古・八重山を29選挙区(1965年からは32選挙区)に分け、各選挙区から1人を選ぶ小選挙区制になりました。1956年からは琉球政府の立法による立法院議員選挙法で選挙が行われています。ここでは1952年から1968年までの8回の総選挙を、中央選挙管理委員会の『選挙結果調』に基づいて、選挙区ごとの有権者数・投票率と候補者全員の得票まで載せています。

琉球政府の行政主席(1952〜1972年)

琉球政府の長である行政主席は、発足時は任命制で、その後は立法院による選挙などを経て、1968年に初めて住民の直接選挙で選ばれました。1972年5月15日の本土復帰で、行政主席の職にあった屋良朝苗は沖縄県知事の職にある者とみなされ、同年6月の第1回沖縄県知事選挙で当選しました。

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